先週、V&A博物館で行われているポストモダニズム展に行ってきた。V&Aは二つ前の記事で少し書いたヴィクトリア女王とアルバート公のVictoria and Albertで、ヴィクトリア女王の死後、旧サウスケンジントン博物館からこの名前に変更されたらしいが、それは文化と歴史の頽廃期に芸術を嗜好しその成熟を援助した二人の君主に敬意を払ったからに違いない。大英博物館と同スケールの建物に展示されているのは、学生達がスケッチしているのをよく見るギリシャの彫刻から現代テクノロジーの集合知といえるようなガラス細工のシャンデリアまで広範にわたるが、元々1851年に行われたロンドン万国博覧会の利益で建設されたこともあり、万博以降に造られたヴィクトリア朝のものが多い。
対立し合うものは調和する。光が眩しければまぶしい程、陰もよりその深みを増していく。ヴィクトリア朝はその光と陰が調和した時代であった。産業革命、植民地支配により経済は興隆し、科学は躍進の時を迎え、西の王室を中心に貴族やブルジョア階級の生活は豪奢を極めるその一方で、イーストエンドは貧困、失業に苦しむ低所得層に溢れ、それに伴う犯罪が横行した。1888年にホワイトチャペル近辺で5人の娼婦を殺害した神秘の猟奇殺人犯、「切り裂きジャック」ことJack The Ripperはその典型だ。この当時のロンドンは一日一件の殺人事件があったという。栄誉栄華の光は道徳的、倫理的な陰だけでは者足りず、身体的な陰も生み出したらしく、ヴィクトリア時代のロンドンは工業地帯からのスモッグ(これが「霧の都ロンドン」)、コレラや結核などの伝染病が萬延し、1851年の平均寿命はほんの40歳であった。現在と比べてヴィクトリア時代の人々にとって死がとても身近な現象であったことは想像するに難くない。
ヴィクトリア時代が幕を閉じてから一世紀以上の時を隔てて、はさみを片手に21世紀のファッション業界に切り込んでいった新進気鋭のデザイナー、Charlie le Mindu(チャーリー・ル・ミンドゥ)は髪をファッションショーの舞台に持ち込んだ。他のデザイナーが綿やシルクを使う様にチャーリーは髪を縦横無尽に扱い、ことによれば中世の妖術使も嫌悪感を抱くかもしれない程の髪に覆われた装飾美を造り上げる。モーニングジュエリーが遺髪を使うのに対し、チャーリーの使う髪は稼業(?)のヘアスタイリスト経由の精力に満ち満ちたもので、それを纏ったモデルに黒魔術的な威圧を付与する。