Wednesday 26 October 2011

モーニングジュエリーからCharlie Le Minduまで

対立し合うものは調和する。光が眩しければまぶしい程、陰もよりその深みを増していく。ヴィクトリア朝はその光と陰が調和した時代であった。産業革命、植民地支配により経済は興隆し、科学は躍進の時を迎え、西の王室を中心に貴族やブルジョア階級の生活は豪奢を極めるその一方で、イーストエンドは貧困、失業に苦しむ低所得層に溢れ、それに伴う犯罪が横行した。1888年にホワイトチャペル近辺で5人の娼婦を殺害した神秘の猟奇殺人犯、「切り裂きジャック」ことJack The Ripperはその典型だ。この当時のロンドンは一日一件の殺人事件があったという。栄誉栄華の光は道徳的、倫理的な陰だけでは者足りず、身体的な陰も生み出したらしく、ヴィクトリア時代のロンドンは工業地帯からのスモッグ(これが「霧の都ロンドン」)、コレラや結核などの伝染病が萬延し、1851年の平均寿命はほんの40歳であった。現在と比べてヴィクトリア時代の人々にとって死がとても身近な現象であったことは想像するに難くない。

アラスカに住むエスキモーが雪に関する言葉を多く持つように、死の増加に伴ってそれを弔う方法やオマージュに多様性が出るのも当然で、死体に化粧を施し、正装させて撮ったポストモーテムフォトグラフィーもカメラの発達とともに流行した。そして、もうひとつ喪に服する人々の装飾美への欲求と死者への弔いとを兼ね備えたヴィクトリア時代に独特のモーニングジュエリーがある。

モーニングジュエリーのモーニングはmorning 「朝」ではなく、mouring「喪」の意味で、服喪中、葬儀の間に着用するこのロマンチックでオカルトチックなジュエリーは17世紀に起こった宗教戦争で流れた血の産物であった。素材には流木が化石化した漆黒のジェットやボヴォークが好んで使われたようだ。色合いの強い宝石は喪服と調和しないため、モーニングジュエリーは黒いものがほとんどで日本でよく喪服に合わせる真珠がダイヤモンドとともにモーニングジュエリーとして認められたのは19世紀末である。
ヴィクトリア時代のモーニングジュエリームーブメントにはその名前にもなった当時のグレートブリテンおよびアイルランド連合王国の女王に君臨したヴィクトリアが関係している。1861年にヴィクトリア女王の最愛の夫アルバート公が死去し、深く喪に服したヴィクトリア女王はそれ以後、生涯を全て喪服で過ごした。世界で初めて純白のウェディングドレス着た人物がその結婚相手の死を受けて全身を黒で覆うとは、ピーター・グリーナウェイさながらの色演出である。当時の王族や貴族の服装は大衆の憧れで、ファッションリーダーの役割を担っており、ヴィクトリア女王の喪服も例にもれず喪服、モーニングジュエリー産業は成熟期に向かい、国中が黒く染まっていった。それがヴィクトリア時代の建前を重んじる社会風潮からの反感、指弾を避けるために生まれた偽善だったとしても、この人類の歴史に打ち込まれた一黒点、イギリス国家黒化の様相は神秘的、黒魔術的で現在までその魅力を失わない。

その数あるモーニングジュエリーの中で最も怪しいく呪術的なものが、エナメルで加工した死者の遺髪をペンダントやネックレスに入れた、ヘアージュエリーである。一般的に髪はその人間と緊密な関係を持っていているとされ、古今東西様々な象徴として解釈されている。まず、髪は神秘的な能力、魔力の象徴とされている。古代の人々は女性(つまり魔女)が魔力を発揮するのには髪が必要だと信じ、キリスト教の尼僧やユダヤ教の女性は髪を剃って無害であることを証明しなければならなかったらしい。髪=魔力の等式は魔女狩りが頻繁に行われた中世まで尾を引いたようで、キリスト教の異端審問官は魔女の容疑者は髪を剃ってから拷問にかけるべきであると主張した。澁澤龍彦も『黒魔術の手帖』の中で髪が愛の呪い(惚れた相手を落とすための、また一般に性と関係がある呪法)の材料になるという指摘を、中世の人々が櫛についた髪を妖術使の手に渡らないように注意深く取り除いていたことや、自分と好意を寄せている相手の髪を結べば恋が成就すると信じていたことを例にとってしている。また澁澤龍彦は、「人間の身体の中で急な成長をとげる髪や爪は、人間の個体とは別な、独立した寄生物のようなものと考えられる傾向があり、そのことが、何か無気味な感じを呼び起こす原因ともなるのであろう。」と言及している。キリスト教社会であった中世ヨーロッパで異教の髪重視信仰から端を発した迷信が人々を翻弄していたとははなはだアイロニックに見えるが、キリスト教のカウンターとして異教の魔術的な行為や思想が同時期に広がるのは必然であるように思う。対立し合うものは調和する。

ジプシーの魔女は恋人に捨てられた者に対して愛する人の髪を数本取って、指輪かロケットに入れて保持するように薦めた。髪を持っていることでその人間の魂に影響を及ぼすことができるとされていた為らしいが、その呪術的な信仰はヴィクトリア時代のヘアージュエリーにまで連綿と続いていたようだ。産業技術の躍進と女王の亡き夫へのオマージュが交錯して産まれたこの数奇でオカルトチックなモーニングジュエリーは爛熟と頽廃、科学的楽天主義とペシミズムを孕んだヴィクトリア時代の生んだメメントである。

ヴィクトリア時代が幕を閉じてから一世紀以上の時を隔てて、はさみを片手に21世紀のファッション業界に切り込んでいった新進気鋭のデザイナー、Charlie le Mindu(チャーリー・ル・ミンドゥ)は髪をファッションショーの舞台に持ち込んだ。他のデザイナーが綿やシルクを使う様にチャーリーは髪を縦横無尽に扱い、ことによれば中世の妖術使も嫌悪感を抱くかもしれない程の髪に覆われた装飾美を造り上げる。モーニングジュエリーが遺髪を使うのに対し、チャーリーの使う髪は稼業(?)のヘアスタイリスト経由の精力に満ち満ちたもので、それを纏ったモデルに黒魔術的な威圧を付与する。
ヴィクトリア時代中葉にも週刊誌の紙面上で人々の注目を浴びた理髪師が存在した。殺人床屋スウィニー・トッドである。しかし、トッドは紙面にしか登場しない。トッドは大衆作家トマス・ベケット・プレストが週刊誌で連載した長編小説に登場する人物だった。しかも、当初はまったくの脇役だったというからジョニー・デップも驚きである。その後、奇怪な猟奇殺人鬼のトッドは人気を博してメロドラマをホラー仕立ての怪奇小説にシフトさせてしまったというから、建前社会で倫理、道徳を遵守して人間の原始的な欲望を抑圧されたヴィクトリアの人々が背徳的な暴力や犯罪に飢えていたのは間違いなさそうだ。

スウィニー・トッドとチャーリー・ル・ミンドゥ、ヴィクトリア時代と現代がそれぞれ照応するとは言わないにしても、チャーリーの髪を使ったコレクションも今年起きたロンドン暴動の前触れで無かったとは言いきれない。

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